双極性障害 うつ病 鬱病 多動性 ADHD ダイエット 強迫神経症 強迫性障害 注意欠如

朝早くてまだ静か。病歴でも話しましょうか。強迫性障害について。

1/24AM5:51

おはようございます。

朝はやいですね。まだまだ暗いです。

静かなので明け方は好きです。滅多に起きていませんが。

昨日からブログをはじめたのですが、わからないことばかりです。

当分は、こんな調子で書いていきます。

タイトルどおり、ぼくは双極性障害で手帳持ちなのですが(3級です)、

自己認識的には、いまは仕事のストレスが無いせいか、症状が落ち着いています。

たくさんのミスを仕事でして、どうやってもそれが直らないで、

先生に相談した結果、ADHDだと診断されたのですが、

順番的にはADHDだったかから、強迫性障害になって、うつ病になったのかもしれません。

強迫性障害、当時は強迫神経症と呼ばれていましたが、中学1年でそれになりました。

物に触れない、扉を閉める時の音が気になる。触ったところに何か付着してしそうで、

あーあーと声を出して打ち消してみたり、足跡がその場にガムのようにへばりつくのが見えてしまい、何度も同じ場所を行き来したり。

明るいのが気になってカーテンを閉め、音が気になって自分の声を出して聞こえた音を打ち消す日々。

何より今も残っているのが、動線が気になって気になって仕方がない。

一度出発すると、同じ場所をとおってしか戻れない。

電柱を右を通ったのに帰りには左をひらり、なんてしようものなら、パニックになって元に戻る。

当時は体に紐が繋がっているのが見えていました。自分の安全地帯である私室から伸びている、自分を引っ張る太い紐。

その紐が現実にあったら、同じ場所から帰らないとぐちゃぐちゃに絡み合って、大変なことになりなすよね、

ぼくのあたまの中もぐちゃぐちゃでした。

日常生活において、そんな同じ場所を戻れることなんてそうそうないですから。

人が通る時は紐は縄跳びの要領で上にひょいと持ち上げて。

スーパーも棚が天井のコンセントと繋がってないか確認して、大縄跳びみたいにヒョイと動線をスキップして。

でもそれができる場所なんて限られていますから。外出するのがもう地獄でした。

車に乗っている時は、なんとか動線の「最初」を自室から車に繋ぎ直して。

でも右から乗ったのに左から降りて、なんて言われてた日にはもう発狂寸前。

部屋に戻って来れたら、とにかく布団に包まって、ここは安全、戻ってきたから動線はもう大丈夫だと言い聞かせて。

わかりにくいと思うのですが、自分の頭の中ではこれで成立していたんです。

最初のくすりが合わなくて、気持ち悪いし動けないし。

心は荒んで、少しでも自分の境遇をマシに思わせたかったのかな。

映画バトルロワイヤルを24時間365日かけてました。

大量に人が殺し合いをする映画をみて、落ち着いていたんです。

トイレに行くのに2時間かかって、お風呂は月1回入れるかどうか。

洗濯物もテリトリーから出すのが怖くてしてもらえない(まだ中学生でしたから)。

そんな生活を何年かしていました。

そうして何年かすごして、ある時病院で薬を変えようという話になりました。

パキシルとかルボックスとかだったかな、元々飲んでたのは。

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その日のことは、今でも当日の朝の状態そのまま、覚えています。

薬を飲んで寝て、起きて。

最初に気にならなくなっていたのは、光でした。

カーテンの間から差し込まれる光が眩しくない。

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次に音でした。

静かでした。虫の鳴く音も、自動車のエンジン音も、生活音が気にならない。

嗚呼、と思いました。地獄が明けたんだと。

本当に、あの日の衝撃は忘れられません。

薬の力ってすごいんだ、って、実感しました。

それからも動線は気になるし、お風呂は入れない日が続きましたが、

少しずつ良くなっていきました。

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ジャンプを買う時しか出れなかった部屋から、少し、外出できるようになって。

少し、バトルロワイヤルを見る量が減って、音で聴くだけになって。

パソコンで小説を書いたり、紙に絵を描いたり試打しました。

その時つくったサイトも、まだ残っているかな。

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そうして少しずつ、本当に少しずつましになっていったのは、

尋常ならない家族の支えがあって、

相方との出会いがあって、

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そんな話は、また今度に。

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